知的生産の技術とソースコード


知的生産の技術(梅棹忠夫 著)を読んでいます。

1960年代の著作なので、今読んでみると、なかなか古い内容もあるものの、現在でも変わってないなと思わせる箇所もあり、大変興味深いです。

冒頭では当時の知的生産の代表である、学問や研究・技術のことについて触れていて、このように話しています。

技術というものは、原則として没個性的である。だれもが、順序をふんで練習してゆけば、かならず一定の水準に到達できる。それは、客観的かつ普遍的で、公開可能なものである。

たいして、研究とか勉強とかの精神活動は、しばしばもっとも個性的・個人的ないとなみであって、普遍性がなく、公開不可能なものである。

そのなかで、著書が強調しているのが、学問や研究の仕方、つまり、『知的生産の技術』の『技術』について。まとめると、以下のような内容です。

知的生産の技術についても他の技術と同様の性質を持っているのですが、特に、日本で、そのなかでも高級知識人のあいだでは、技術ぎらい、技術軽視の傾向があるといいます。

しかし、そんな高級知識人でも、高度な技術をもっているもので、そういうものを技術とかんがえることを好まないだけということです。

また、みんな非常に個性的だと思っていても、案外、同じようなものが多く、同じような工夫をして、同じような失敗をしているものだと。

これらを公開して、知的生産の技術について考えていこうというのが著者の目的であるわけです。

前置きが長くなってしまいましたが、これってプログラミングと似ているなと思ったのです。
私らの業界も知的生産に関わる業界であるはずなので、当然といえば当然なのですが。

つまり、プログラミング言語の技術は当然、誰でも練習すれば習得可能な技術なはずで、客観的かつ普遍的で、公開可能なものであるはずです。

しかし、現場でソースコードをきれいに書く方法、保守性が高い書き方、他人が読んでも読みやすい書き方というのはどうだろう?

よくソースレビューについて話が及ぶと、レビューをしたところで人によって書き方違うからとか、規約とかがないととか、レビューの基準はなに?なんて話をよく聞きます。

しかし、できるエンジニアの間では、案外同じようにきれいなソースコード、保守性が高いソースコードが書かれているのではないだろうかと思うわけです。

ソースレビューなどをきちんとしている会社さんでない限りなかなかタイムリーに、人のソースコードを読む機会などないのではないかと思います。
もっとも、保守や機能追加の段階で人や自分の書いたソースを見て「わー」となることは多いかもしれないですが。

ソースコードを書く技術について、社内で話し合ってみるのも、社内全体のレベルアップにはいいはずです。

その前に、そのような技術を先人の達人たちが既にまとめて出版しているので、それらをまず読むべきですね。
リファクタリングや実装パターンなどが大変参考になるはずです。


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